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札幌高等裁判所 昭和54年(ツ)8号 判決

上告人

有限会社協同企業

右代表者

伊藤愛子

右訴訟代理人

梅原成昭

被上告人

富山睦治

右訴訟代理人

岩城弘侑

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由は、上告理由書によると、別紙記載のとおりであり、これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

上告理由第一について

そもそも、借家法第一条の二が建物賃貸借の解約申入及び更新拒絶の有効要件として定めている正当の事由は、賃貸借当事者双方の建物使用の必要性その他諸般の事情を総合的に衡量した場合、賃貸借を終了させることが客観的合理性を備えることを意味し、時と場合によつては、賃貸人が賃借人に対し立退料等の名目による金員の支払を提供しているという事実が他の諸事情を補完して正当の事由を組成することもあり得ると考える。しかし、立退料の金額が建物の明渡によつて賃借人が被るべき損害の金額を補償するに足りるものであつても、他の事情如何によつては、建物の明渡と引換になさるべき立退料の支払が賃貸借の終了に客観的合理性を与えない場合があり得ることも否定し難いところである。

原判決によると、原審は、上告人が賃貸人、被上告人が賃借人たる本件建物(原判決の表示による。)の賃貸借について上告人から被上告人に対してなされた解約の申入及び更新拒絶が正当の事由を備えるか否かを判断するにあたり、原判決の理由説示中、二2の(一)の(1)ないし(6)及び(二)の(1)ないし(6)の事実を確定し、これによつて、賃貸借当事者双方の事情を総合的に比較衡量したうえ、結局、正当の事由の具備を肯定することはできないと判断し(同説示中、二2の(三))、かつ、上記認定の事実等を考慮し、上告人がなした立退料の提供をもつてしても、いまだ正当事由が具備されたということはできないと判断した(同説示中、二2の(四))ものであるが、その判断は、推論の過程に齟齬がなく、十分に首肯させるものがあると同時に、借家法第一条の二の規定の解釈にも合致するものといわざるを得ない。

所論は、原審が上告人の提供した額を超える立退料の提供を正当事由の補完条件として認めることができるか否かについて判断をしないまま、正当事由の成立を否定したのは最高裁判所の判例の解釈に違背し、また、正当事由の補完条件として相当と認められる立退料の金額の算出について審理を尽さなかつたのは違法であるというが、最高裁判所の判例には、相当額の立追料の支払または提供さえなされると、他の事情如何に拘らず、いかなる場合でも正当事由が補完されるという趣旨を判示したと解すべきものは見当らないから、原審の正当事由に関する解釈に誤りがあるということはできず、また、原審が所論のような立退料算出について審理をしなかつたのは、本件事案を立退料によつて正当事由が補完される場合ではないと判断したことによるものと解されるから、違法ということもできない。論旨はいずれも理由がない。

上告理由第二について

原判決によると、原審は、上告人が賃貸人、被上告人が賃借人として本件建物の賃貸借契約を締結した際、その使用目的を「薬局(店舗)」に限定した合意の趣首を認定するにあたり、原判決の理由説示中、三2の冒頭及び(一)ないし(六)の事実を確定したうえ、これらの事実等を総合して、右使用目的を薬事法にいう「薬局」(その開設には調剤室を設備して道知事の許可を受けることになる。)に限定する趣旨の合意がなされたものとは認めることができず、また、医薬品及びこれに付随して化粧品、雑貨の販売の用方を排除する趣旨の合意がなされたものとも認めることもできないと判断しているが、右判断は、十分に合理性を具え、その推論過程に経験則違反となる点はない。

所論は、薬剤師である被上告人が賃借人として本件建物の賃貸借契約を締結した際、その専門分野の「薬局」に使用目的を制限したことからすると、その用語は被上告人の社会的地位ないし知識を前提として解釈すべきものであつて、原審の解釈は社会通念に違背するというが、右のように使用目的を「薬局」に制限した被上告人が薬剤師であるというだけで、原審が判断材料として確定した前示事実を度外視して、その使用目的を推論するのはむしろ早計に過ぎるというべきであつて、論旨は理由がない。

よつて、本件上告を上告理由書の記載自体により理由がないものと認め、民事訴訟法第四〇一条、第九五条、第八九条に従い、主文のとおり判決する。

(駒田駿太郎 輪湖公寛 寺井忠)

〔上告理由〕

原判決には次のとおり判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。

第一 原判決には、借家法第一条の二の「正当事由」の解釈について誤りがある。

すなわち、正当事由の補完条件として立退料の提供を認め、当事者の明示した申立額を超える立退料の支払と引換えに明渡講求を認容する場合のあることを最高裁判所の判例は示している。(最高判昭三八年三月一日、民集一七巻二号二九〇頁、同昭和四六年六月一七日判例時報六四五号七五頁、同昭和四六年一一月二五日民集二五巻八号一三四三頁)

ところで、上告人は本件について、正当事由の補完として立退料一〇〇万円の提供をすべきことを主張した。勿論上告人は右一〇〇万円を超えて立退料を支払うことに反対する意思を述べたこともなく、一定の範囲内でその立退料の額を裁量されるよう裁判所に決定を委ねていたものである。

しかるに、原判決は、「右立退料の提供をもつてしても未だ正当事由が具備されたということはできない。」として上告人の請求を排斥している。

右原判決は、上告人の提供した立退料一〇〇万円を超える相当額の立退料を提供したとしても正当事由を補完しないという趣旨なのか、あるいは、当事者の明示した申立額に拘束されるという解釈の下に判断されたものか、明らかでない。

原判決の右文言をそのまま素直に読めば、当事者の提供した申立額を超えて相当額の立退料を補完条件として認めることはできないとの解釈の下に、右のように判断したものであるとしか考えられない。

もし、正当事由の補完条件としてどの程度の立退料が必要かとの判断をするとするならば、立退料の額の問題と立退により被上告人の受けるべき損害とは相関関係にあるはずであるから、被上告人の受けるべき損益を具体的に立証させるよう釈明するのが、裁判所のとるべき訴訟指揮である。

しかるに、原判決は、被上告人が経営する四店舗(外に一店舗あり)のうち、本件建物で経営している店舗が最高の収益を上げていると認定したにとどまり、どの程度の収益を上げているのか、立退料の提供だけでは損害を代償できないのか、審理は不十分であり、此の点審理不尽の違法があると言える。

何れにしても、原判決は、正当事由についての前記最高裁判所の解釈に違反し、法令の違背があることは明らかである。

第二 原判決には経験則違背がある。

上告人は、被上告人に対し、本件建物を「薬局(店舗)」に使用するべく目的を制限・特約して賃貸していたものである。

被上告人は、薬剤師の資格のある薬事法の知識に詳しい専門家であつて、「薬局」のいかなるものか熟知しているものであるが、仮に専門家でないとしても、「薬局」というのは「調剤のできる薬局」ということの理解を持つのが一般人の常識というべきである。

ところが、原判決は逆に『一般には「薬局(店舗)」という用語は、調剤室の設備を設けない医薬品の一般販売業たる薬店ないし薬屋を含む趣旨で用いられていることが多いと考えられる。』と述べて上告人の使用目的違反による契約解除を排斥している。

借主が薬剤師の資格のない一般人である場合には、原判決の判断が是認されないこともない。しかし、本件の場合借主は、薬剤師という専門家である。その借主の社会的地位、知識を前提にして、賃貸の使用目的である「薬局」の文言を解釈すべきであつて、当事者の立場をはずれて、一般人の立場から解釈すべき必要・理由は何も存在しない。

しかるに、原判決は経験則すなわち、薬事法に詳しい薬剤師であるならば、当然、「薬局」というのは、「調剤室の設備を必要とするもの」であることを承知しているはずであるとの社会の通念に違背しているものであつて、不当と言わざるをえない。

以上、原判決は違法であるから、取消を免れない。

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